昨日まで6日間、横浜での出展が終了しました。
ありがとうございました。
毎日たくさんのお客様に作品をご覧いただきました。
実演をしながらお話したり、
作品についてご説明したりしながら、
同時に私自身も作家として、
これまでと、どうありたいかをあらためて考える時間でもありました。
これまで細かい自己紹介をすることもとくになかったので、
一度ここでまとめておこうと思います。
大変ながーくなってしまったのですが、
へんな奴がいるなあと笑いながら
お暇なときにでも読んでいただけたら幸いです。
さて、青森は津軽地方が生まれ故郷のこぎん刺し。
私は東京生まれ、新潟の長岡という雪国で育ちました。
18歳で東京へ進学してからは、ずっと東京で暮らしています。
こぎんと出会ったのは32歳の時です。
母が東北出身ということもあり耳に懐かしいモドコの名前と、
針一本で果てしなく模様が生まれる不思議に惹かれて、
はじめに生業としようと決めました。
こぎんとの出会いは旅番組での紹介場面で、
10分くらいはあったでしょうか。
その時わかったのは、ずいぶん簡単な仕組みらしいこと、
ひし形模様が基本であること、
それには津軽弁で名前がついていること。たったそれだけ。
しかしそこが気に入って、流れる映像を見ながら
昔からよく聞いてきた方言の響きを思い出し、
一緒に声に出してモドコの名前をつぶやいてみました。
それ以来どうしても頭から離れなかったこぎん刺し。
自分でも刺してみることにします。
しかし、伝統のモドコの資料は書籍でなんとかみつけたものの、
どの書籍もそれぞれの作者らしさがあるようで,
ならばと古いこぎんの展示を探して出かけてみました。
実物を見ると、単純そうに思っていた模様は
実はそのシンプルな並びにこそ刺し手の技と個性が
表現されるもののようだとわかりました。
地方性やいくつかのパターンはあれ、
糸から刺した人が見えるよう。
刺した数、性格、暮らしぶり、考え方、生きる町、
それらすべてが絡み合って、一着のこぎんにつまっていると感じました。
作って着て暮らしていた人たちはきっと気にも留めていない。
でも実用に迫られてもすごく真剣に模様を研究してみた人たちがいて、
手ひとつを道具として、
こうも美しく発展してきたのだと圧倒されました。
私がつくるこぎん刺しは、その感動がはじまりです。
わたしなりのこぎんを追求できないだろうか。
それにはたぶん一生かかるだろうけれど、
仕事にしてみたらいつか道になるかも、と思いました。
そこからはひたすらに手探りで自分なりに麻布と綿の糸と針をみつけ、
(それはもちろんこぎん用ではなかったのだけれど)
あまりにも難航した東京での材料探しに、
昔の津軽人たちがこぎんをつくるまでの苦労を重ねて思ったりもしました。
足元にも及びませんよネ。
でもそのおかげで、
今のこぎん刺し絵糸の品々のイメージが生まれました。
東京の街で集めた布や糸は、
様々な種類で、明るく華やか、とっても自由な感じ。
東京の街によく似ています。
そこであえて模様には古くからのモドコを使い、
実用できるアイテムを作るという方向に自然と定まりました。
以来、メインにしている材料は今も変わりません。
そこに季節感を加えたり、
日々あちこちで出会った材料を加えて制作しています。
「カラフル&ライトなこぎん刺し」というキャッチフレーズは、
こうした経緯から、
賑やかな東京の街で古くからの文化を楽しく実用してもらえるように、
という気持ちをこめてつけたものです。
大問題の模様については、
ゆっくりペースだったとしても、
あえて自分でモドコのルールとこぎんの仕組みを紐解きながら
考えることに重きを置くことにしました。
ただ実際に始めてみると、
驚きと、小さな小さな挑戦の連続です。
その昔、5歳の子がこぎんを覚え始めたときも
こんな風だったろうなと思いました。
その子らはお嫁にいくまで10年以上はかかったでしょうが、
私はその何倍かで上達しないと
仕事にして食べていくことはできないだろうと、
すこし焦りもしました。
紙に書き起こす時間がもどかしい。
結果、図案なしで、
覚えたモドコを頭の中で組み立てながら刺すスタイルに決めて、
どんどん刺すことにします。
刺すごとに、新しいアイデアに挑戦してモドコを合わせてみる。
ひとつ技をみつけたら、
指と頭に馴染むまでいろんなモドコでもっと刺してみる。
失敗を繰り返すうちに少しずつこぎんの成り立ちと理屈がわかってきて、
どのように刺せばいいのか、考えがまとまっていきました。
地道に尽きる、まるでこぎんの歴史をひとり追体験するような作業。
でもこれが、こぎんと模様の、
何が美しいのかを自分なりに理解する
大きな手助けになっていきました。
津軽の人には津軽の美意識。
きっと私にも私のものが、と思えるようになってくると、
さらにこぎんに興味がわきました。
ですから私の作品は、
はじめてからずっと、ひとつずつ模様が違います。
樹形図を作るように少しずつ覚えていく仕組み、
偶然みつけた面白い技、遊び心、冒険心。
想像した物語。たまに寄り道。
それらをつめこんで作っています。
初めて作品ご覧になる方は
配色をほめて下さることが多いです。
でもたくさん並んだポーチたちを一つひとつ眺めながら、
「あれ?」と目線が引き返してくることがあります。
すべて模様が違うと気がついて
楽しそうにしてくださる顔が大好きです。
これは猫、これはベコ、これは雪……。
そんな説明をして、お気に入りが見つかれば最高。
中には注文品で誂える際に
模様まですべておまかせ下さる方もいて、
今はありがたくお受けしたりしています。
こぎん刺しという仕組みがある限り、
いくらでも複雑な模様を作ることができ、
一方でシンプルに徹することにも美しさが生まれます。
もちろん、見たことない柄だと気づいていただくのはとても嬉しい。
けれど素材を含めた様々な可能性をどう選ぶかは、
その時々、刺す人の思考や好みによって変わる。
私は、その思考と結果に、オリジナリティという名が
つくのではないかと考えています。
青森生まれでないことも、東京の街で暮らしていることも
雪国うまれであることも、経験したことも
すべてが重なって作品になっていく。
それがとても魅力的です。
はじめは小物が多かった私の作品たちも、
最近は、お客様のリクエストで徐々にアイテムが増えてきました。
それらをコーディネートして使って下さるお客様が増えたりもして嬉しいです。
カバンやその中に、
色とりどりのアイテムがチラリと見えるだけで
今日も頑張ろうと思えたり、勇気付けられたり、
優しい気持ちになれる。
使って、触れて、和むひとときが生まれる。
私自身の模様への挑戦とはべつにしても、
そんなアイテムを目指して作りたいと思っています。
実は、はじめて足を運んだ展示会以来、
これまでの私は自分の作品づくりばかりが中心で、
ほかの方の作品を見せていただくことは殆どありませんでした。
弘前を何日か訪れたときでさえ、
お城で桜とカモを眺めたり、
土手町の石畳を歩いたり、
美味しいものを食べてみたり、
美術館に行ったり津軽三味線を聴いたり、
岩木山に見惚れたり。文字にするとのんきですね。
唯一糸をさがしに手芸店へ行ったくらいで、
こぎんにはほとんど触れませんでした。
ちょっと馬鹿みたいですが、
他の刺し手の作った素晴らしい作品たちを見せていただく前に、
まずは自分の技術を少しでも上達させながら、
私が刺す意味を考えてみようと思ったのです。
模様を見るより、
津軽の人たちの気風や街の雰囲気を吸い込んで
自分に生かせたらと。青くさいですが……。
しかし自分なりにやってきて、
ようやく今、ほかの作家の皆さんやこぎんを刺す人たちとも、
もっともっとこぎん談義をしてみたいなと思うようになってきました。
皆さん何を思ってこぎんを刺すのでしょう。
青森の土地や文化のことも、もっと知りたいです。
出身の方に懐かしい故郷の話を聞くたび、
私も自分の故郷を思い出したりしています。
この7年間で数え切れないほど刺しましたが、
それでもまだまだ足りません。
まだまだ日々成長中といったところ。
それでもあたたかく作品を求めてくださる方々に、
感謝でいっぱいです。
出展の機会は今後もまた作っていきたいと思います。
東京発カラフル&ライトなこぎん刺し、
お見かけの際はぜひお立ちよりくださいませ。